子供の頃から食べることが好きだった私は、漁師の家の長男で生まれ、
毎日、色々な鮮魚を刺身、煮物、焼き物等の食生活で成長しました。
母も仕事を持っていたので給食の無い土曜日になると、
簡単昼食を自ら作ったものです。
幼少時代から調理することが好きで目玉焼きに香辛料を効かせたり、
工夫をしたものでした。小学校5年生の時に家庭科授業で
味噌汁、粉ふき芋、御飯を炊くという実習を今でも鮮明に
記憶に残っています。調理する楽しさ、
また出来立てを食べた瞬間の美味しさは格別でした。
その後、中学、高校と進み高校2年の頃将来、大学進学とか就職を
意識し始めて色々な事を考えはじめました。
漁師である父に料理人になりたいと伝える事が出来ないで
母の後押しで父を説得した事もありました。
高校を卒業して松山で料理人になると決めていましたが、
高校での専門学校資料の中で大阪あべの辻調理師専門学校を知り
両親に相談をして進学をしました。辻調理師専門学校への進学も決まり
伊予市の中華料理店で初めて天津丼を食べて魚ばかり食べていた私は、
その美味しさに感動しました。学校の授業も毎日が楽しく5月頃に専攻科という別途授業が、
始まると聞き子供の頃から魚と馴染んだ生活から寿司屋になりたいと思ったり、
また天津丼の味、卵のふわふわ食感が脳裏に残っており中国料理も良いなと考えていました。
専攻科の選択の期限も迫り、担任の先生に相談したところ
テレビ番組でNHKの料理番組を紹介され、はじめて視聴した料理番組が、
後の我が師となる陳建民先生が出演している【きょうの料理】でした。
翌日、私は専攻科を中国料理に決めました。夏休みを終えて就職活動に入り今度は、
中国料理担当の先生に就職相談をしましたら東京の赤坂四川飯店を紹介され入社を致しました。
5年を節目で卒業をする赤坂四川飯店ですが、
故陳建民先生に残って息子陳建一氏と一緒に赤坂四川飯店で
若い子の指導を任せられ25歳での役職と四川飯店グループでは、
異例の抜擢を頂きました。将来、この四川飯店グループで職人として働くことが
楽しく、また陳先生の技術も学べる事ですから何の不安も無く月日が進んでいました。
28歳の時に義父から店を出したらどうだろうと話があり悩んだ結果、
平成元年に30歳で天外天を開業して現在に至ります。
故陳建民先生、天外天開業から色んな事を教えて頂いた故義父へ心より感謝申し上げます。